慈眼大師
喜多院境内にある慈眼堂です。
これがある塚は前方後円墳の後です。
右後方に見えるのは喜多院歴代住職の墓所で墓石の他に大きな二基の板碑(いたび)も建っています。
板碑というのは墓石とは違い塔婆であり来世での幸せを願ったり故人の供養のために作られたものです。
関東地方特に秩父で採れる緑泥片岩という石をてっぺんを尖った塔婆の形にしてサンスクリット語の文字を種子(しゅじ)、つまり阿弥陀如来などの仏を表す中央上部に刻んであります。
小さいものから大きなものまで色々ありますが市立博物館へ行くと見られます。
板碑は鎌倉時代に多く作られたようですが作られた当時は刻んだ部分が朱や金など色彩鮮やかに彩られていたそうで高価なため講のようなものを組んでお金を出し合ったと言われています。
さてこのお堂を慈眼堂というのは天海大僧正の贈り名である慈眼大師に因んでおります。
天海大僧正が1643年に亡くなって2年後に徳川家光の名によって建てられたと言われています。
天海大僧正最晩年の姿を表す座像がここに安置されています。
私は以前偶然にも2度本物の像を見たことがあります。
因みにこの辺りには仙波古墳群と呼ばれるように古墳が沢山あります。
ほとんどは現在神社になっていますが喜多院山門前の日枝神社も実は前方後円墳でした。
勿体ないことに県道が作られた際古墳の一部が壊されてしまい古墳の形を残していませんが。
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